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距離

 

ここのお庭の筆頭者でもある秋本につい先日、半年ぶりに会って笑って踊った。いつもどおりだった、そういつもどおり。

 

 

秋本が東京を離れると聞いたときそれほど感慨はなかった。たぶんこのお庭のメンバーのだれが遠くに行こうと同じことなのだ。あたしにとって。外国となれば話はべつだけど。

 

あたしのこの冷酷さはどこから来たのだろうと熱いシャワーの中で考えてみたら、さかのぼると小学生からだ。そう、10代の別れの経験といえば卒業式だ。あたしは卒業式で泣いたことが一度もない。それどころか、みんながなぜそれほど泣いているのか理解できなかった。小中学の卒業生はその大半が地元(自宅)が変わることはない。つまり、会おうと思えばいつだって会えるのにな、あたしはそんな思いで友人たちを眺めていた。

 

 

そんなあたしがつい3年ほど前、いまの職場へ転勤することが決まったとき前職場での送別会では涙を浮かべた。このメンバーで仕事をすることはもう一生ないと確信したからだ。幾人かと一緒になることはあっても全員はもう二度とない、絶対に。

 

 

おそらくは卒業式で泣いていたあのコたちはそうゆうことなのかなあと。全員が揃うことは二度とない、この風景を思って涙していたにちがいない。残念ながらあたしはそこまで思う風景を10代のうちに見つけることができなかっただけなのだ。そう思うととても淋しい。

 

 

それはそれとして、ここのお庭のメンバーは元々あたりまえであってあたりまえの風景にいない。日常であって日常ではない不思議な友人関係なのだ。会いに行こうと思えばいつでも会えるけど、日常生活の中でいつもいるとゆうわけではない。二度と会えなくなるその日が来るのだろうか、、それはたぶん意図的ななにかなんだろうな。逆にその意図がないかぎりずっと続いていくものだろうと思えてしまうので、やっぱり日本のどこにいようとあたしは泣けないんだろうな。泣けるひとがうらやましくも思う。この風景は今しかないと分かっていても、なぜだろう、日常ではない距離に甘えが出るのかもしれない。常に地方者とゆう立ち位置、いつも訪れるとゆう感覚、その思いと反する強い気持ち強い愛。そうゆう気持ちを持ち合わせている。これをなんと呼ぼう。

 

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yoru
とるに足らない会社員。休日は花屋かパン屋にいることが多い、だいたいそうねいつもだいたい。お花のこといっぱい話しちゃうけど許してほしい。夜ふかしは苦手。
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